公益社団法人 日本婦人科腫瘍学会 25周年記念事業

第3回 座談会
創立25周年記念

第3回座談会

出席者
三上 幹男先生(理事長、東海大学教授)
岡本 愛光先生(副理事長、東京慈恵会医科大学教授)
万代 昌紀先生(副理事長、京都大学教授)
青木 大輔先生(元理事長、慶應義塾大学名誉教授)
片渕 秀隆先生(監事、熊本大学名誉教授)
鈴木 直先生(常務理事、聖マリアンナ医科大学教授)
岩田 卓先生(幹事長、慶應義塾大学講師)

鈴木

公益社団法人日本婦人科腫瘍学会25周年記念事業のトリとなる第3回の座談会を始めたいと思います。
第1回、第2回はこれまでの軌跡、それから参加していただいた先生方の思い出を語っていただきました。第3回は、今後の学会の在り方と将来の方向性に関してお話をいただきたいと思います。50周年事業のときにこの座談会を見ていただける方がたくさんいることを期待して、25年後どのようになっていくか、あるいは近々の課題である5年以内に何をすべきかを含めて、我々に提言をいただきたいと思います。

歴代理事長による
任期の振り返り

それではまず初めに青木大輔先生から、在任中の業績とご苦労に関してお話しいただきたいと思います。

青木

私は2018年総会から2020年の総会までが理事長の任期でした。この学会が公益社団法人化するということに関しては、嘉村理事長時代の2012年に総務委員長として公益法人化ワーキンググループの責任者となり、準備を進めた次第です。会員が研究と臨床を一生懸命やっている中で、その拠り所である学会が世に認められた肩書きを持つことが大事だと強く感じ、公益法人化を進めてまいりました。主要な学術団体が公益社団法人の資格を得ている中で、このとき日本婦人科腫瘍学会はNPOでした。制度的にNPOから一足飛びに公益法人化はできないことがわかり、そこでいったん少人数の役員からなる、別団体として「一般社団法人日本婦人科腫瘍学会」を設立し、それを「公益社団法人日本婦人科腫瘍学会」に移行、さらにそこにNPO法人の会員を全員受け入れる、という形を取り、現在の公益社団法人日本婦人科腫瘍学会が誕生しました。

さて、国際化については、2016年、八重樫理事長の時ですが、その時私は副理事長となりました。この前、ちょうど2015年でしたでしょうか、第5回Ovarian Cancer Consensus Conferenceが東京慈恵会医科大学で行われまして、2016年には第4回 ASGO International Workshopを八重樫教授が主催され、さらに私が担当した横浜での第19回国際細胞学会、引き続き2017年には第5回のASGO Biennial Meeting、2018年に第17回のBiennial Meeting of the International Gynecologic Cancer Society、これは京都で岡本先生、小西先生のご尽力によって開催されました。こうして理事長になるまでは、日本で5回もの国際学会が開催され、急激に国際化が推進された時期となりました。その後、2020年明けたところで新型コロナウイルスが蔓延し始め、たちまち国際学会がオンラインになり、皆さんが海外に飛び出していくという機会が頓挫されてしまったのは残念です。

青木先生
青木先生

もうひとつ、理事長時代に学会のプレゼンスを高めるため掲げた目標に日本医学会加盟がありました。当時、公益社団法人の法人格はその時点で得られていましたし、国際学会の開催という要件も、IGCSを以前、日本で開催していました。ただ加盟の暗黙の条件である英文誌を持っていなかったものですから、なんとか英文誌を持ちたいということになったんです。それで当時、韓国のASGOのオフィシャルジャーナルだったJGOをJSGOのオフィシャルジャーナルにできないかということで当時のEditor in chiefのRyu先生にご相談に行き私と当時の総務委員長の万代先生と交渉を重ね、無事JGOをオフィシャルジャーナルにすることができました。これによって日本医学会加盟の条件として、法人格は持った、国際学会は直近で開催した、そして英文誌を持っているという三拍子が揃いました。片渕先生に理事長を交代した段階で申請が認められ、大変嬉しく思いました。日本医学会には190ほどの分科会がありますが、世の中にはたくさん、たくさん学会がある中で、いわば190ほどしか認められていないわけです。そこの1つに入ったというのは、大変名誉なことだと思います。

あとは2018年にオラパリブがプラチナ感受性再発卵巣癌に保険適応が通ったことがあり、当時BRCA遺伝学的検査についてどのように考えるかということについてワーキンググループでまとめたという経緯があります。それからずいぶん長い間、一部の施設で行われていたセンチネルリンパ節生検についても、うまくいけば低侵襲手術としていい方法だなと思っていました。しかし各々の施設がバラバラで、独自の方法で進めていたので、このままだとまとまりがないなと感じまして、センチネルリンパ節生検の委員会をつくらせていただきました。とりまとめは小林裕明教授にお願いし、最近トレーサーが公知申請というところまできましたので、一番大きなハードルは超え、次のステップに進むと考えています。
それから第一回内視鏡手術手技研修会というのを行いました。この学会で手術に関する注意の研修をやるという動きには、色々なご意見があったと思いますが、やはり対象疾患が癌ですから、きちんとした考え方を持って臨まないと、直接予後に影響するという怖い側面があります。そこで手技の研修会を実施することにしたんです。これも実は新型コロナウイルスの蔓延で中断してしまっておりますから、これからどういう方向に進むかという曲がり角を迎えています。

2020年度が明けてからは緊急事態宣言が発令され、オンラインの理事会を始めました。学術集会も現地に集まることは、そこからしばらく一切なく、オンラインのみの開催になってしまいました。今となっては、学会の開催方式にオンライン開催という一つの選択肢が加わったように感じます。選択肢が増えたという点では良かったと思う一方、正直私は寂しい思いもしました。実は2019年からASGOのプレジデントを拝命し、学術集会も開催しましたが、全てオンラインという形になってしまいました。遡れば2018年と2019年は韓国で大変盛大に開催されたところだったのですが、その後の台湾、バンコクと、ちょうど私がASGOプレジデント時代はほぼほぼオンラインとなってしまいましたので、寂しかったなと感じます。ただこれも復活すると思いますし、次の2025年、杏林大学の小林教授が日本で開催されますので、そこで一気に国際化を意識していただければと思っているところです。国際化という観点ではOvarian Cancer Consensus Conferenceも帝京大学の長阪先生が手を挙げてくれているそうです。そういう意欲のある先生が現れてきたということは、今後のIGCSを日本でやろうという機運にもなると捉えています。新型コロナウイルスの蔓延によってせっかくの国際化が頓挫してしまいましたが、今後はどんどん国際化が進むことを期待しています。

青木先生
青木先生

鈴木

ありがとうございました。頓挫されたといいながら、国際化の窓を開いたというのは間違いありません。後ほどまた語っていただきます。
次は片渕先生から、在任中の業績、ご苦労を語っていただければと思います。

片渕先生
片渕先生

片渕

私がこの学会に直接携わり始めたのは、2004年に教授に就任した後のことです。2006年4月の第58回日本産科婦人科学会学術講演会のときの生涯研修プログラムで、「婦人科難治性がんの治療戦略」というセッションで子宮肉腫を担当させていただきました。今と変わらず当時も子宮肉腫は難しい腫瘍でしたから、まとめるのに大変苦労しました。
その時の座長が宇田川康博先生と八重樫伸生先生のお二人で、講演の後に宇田川先生から「ガイドラインに加わらないか?」というお誘いをいただきました。当時は未だ「ガイドライン何するものぞ」という雰囲気があった時代でしたので、やがて自分がこんなにガイドラインにどっぷり浸かることになるとは思ってもみませんでした。そのときは子宮体がんのガイドライン第2版の作成が始まろうとしており、その作業にお声を掛けていただいたわけです。
2007年頃から子宮体がんガイドラインの改訂作業が始まり、私はその中の一つの小委員長として携わりました。八重樫先生が2008年にガイドラインの委員長になられ、私は関わって1年も経たないうちに副委員長のご指命をいただきました。当時はガイドラインの副委員長も常務理事会に出席していましたので、学会の全体像と各委員会が遂行する仕事の内容を見せていただき、いろいろ学ばせていただく貴重な機会でした。

片渕先生
片渕先生

私の産婦人科医としての人生を振り返ると、この学会の中でガイドライン作成という仕事に携わったからこそ、私の現在があると感じています。ガイドライン委員会の委員長を2012年から2016年、副委員長の時代を合わせると8年間で、私の教授在任期間の大凡半分の時間になります。私が委員長のときに出版したのは、子宮体がんの2013年版と卵巣がんの2015年版です。既刊の卵巣がんのガイドラインだけが解説を羅列したものだったので、Q&A形式に改めるのには大変な作業でした。その後担当したのが外陰がん・腟がんのガイドラインの作成です。このガイドラインはそれまで日本だけではなく世界的にもありませんでしたので、必ずしも多いがんではありませんが、作成の機運が高まっていました。また、患者さんとご家族のガイドラインの改訂第2版、そして全てのガイドラインをまとめたポケット版のエッセンシャルも発刊しました。私にとって好運だったことは、三上幹男先生に副委員長を引き受けていただいたことです。

ガイドラインには検証が必要だという観点から、三上先生という強力なパートナーを得て検証する流れが出来あがり、その検証後に次のガイドラインの改訂作業に取りかかるという現在のシステムとなりました。この学会は専門医制度とガイドラインの2つが骨格になっていますが、ガイドライン委員会では初代の故宇田川委員長と、その次の八重樫委員長によって礎を築いていただいたお陰で、今日の安定した定期刊行が続いています。

さて、私が務めさせていただいた2年間の理事長の前に、青木大輔理事長の下で2年間副理事長をさせていただいたことが大きな財産になりました。と言いますのも、青木先生は日本産科婦人科学会など他の大きな学会でも要職をお務めでしたから、この学会の運営と他の学会との連携を勉強させていただきました。副理事長の2年間は現在とは異なり委員長職を兼務していませんでしたので、自由なスタンスでいろいろなことを学ばせていただいたことは、その後理事長として戦略を考えていく上で大きな糧となりました。

私の理事長職の2年間はコロナ禍の真っ只中でした。青木理事長の最後の総会は私が引き継ぐ総会でもありましたが、オンライン開催でした。4,000人を越える会員を擁する学会の総会が、小部屋に数名の役員が集まって行う、今までに経験したことのないものでした。理事会の構成では、長年の経験のある岩田 卓幹事長に継続してもらい、副理事長が1名から2名になりましたので、三上幹男先生と岡本愛光先生にお願いし、副幹事長も規約を変えて1名から2名にしました。組織の足腰をしっかりしておかなければと思ったからです。結果として、手前味噌ですが大過なく円滑に運営された2年間だったと思います。とにかくウェブ会議ばかりの毎日で、事務局の安田利恵さんと加藤 心さんはとても大変だったと思いますし、総務委員会の鈴木 直委員長と大原 樹幹事には理事長の沢山の無理難題を聞き入れて対応していただきました。まさに「ピンチはチャンス」の2年間でした。私個人のことですが、教授職の最後の年に理事長に就任しましたので、教授としてのハードな仕事がなくなった分、理事長しての仕事がやりやすくなったことは良いタイミングでお引き受けしたと思います。
理事長のときには、11の常設委員会に加え小委員会やワーキンググループを増やし眼の前に突きつけられたいろいろな課題を1〜2年間の短期間に解決するように努めました。例を挙げれば、この時にしかない「25周年記念事業小委員会」を設置し、コロナ禍の実状に即し、公益社団法人という立場で、形に残るもの、お金のかからないもの、今の時代に合うITを使ったものの3つの方針で鈴木委員長に組み立てていただきました。その他には、藤井多久磨理事が提案された「子宮頸部病理・コルポスコピー小委員会」も時機を得たものだったと思います。コルポスコピーは、私たちの時代では、腫瘍を専門にする、しないに関係なく、誰もが若いときから学ぶものだったのですが、現在ではそういう環境にはなっていないので、若い世代にトレーニングの機会をつくったのは良かったと思います。もう一つは、三上先生が詳しく話されると思いますが、JESGO(婦人科悪性腫瘍総合入力システム)の立ち上げです。

この学会の運営で忘れてならないのは、婦人科の会員だけでは成り立ちませんので、病理や放射線科、腫瘍内科の会員をもっと増やしていかなければならないということです。そして学術集会の在り方も重要です。コロナ禍の中で学術集会をどうするかというのは重要な問題でしたが、ポストコロナになってどうするのか、今のうちから検討しようということで、京 哲先生に在り方検討ワーキンググループ長になってもらい進めました。その中で、いろいろな会員の意見を入れてプログラムを構成していくことが必要ということでプログラム委員会を設置しました。また、学術集会後の検証をするために事後評価委員会をつくって松村謙臣先生の下で各方面からの情報を集めて検討してもらいました。今回の松江での学術集会にはまだ完全には反映はされていないかもしれませんが、どういう方向で学術集会をやっていくべきかを考える素地ができたように思います。COVID-19の感染に合わせてこの学会が時機を逸することなくどのように情報を発信するかも迫られた課題でしたが、川名 敬委員長の下で情報発信を強化しました。最後に触れておかなければならないのは、卵巣がんに関して将来の鏡視下手術の保険収載も考えておくべきだという点です。先を見据えて先手を打って検討しておく課題で、後手に回って時流に置いていかれないように、万代昌紀委員長の下で2年前から検討を重ねていただいています。