公益社団法人 日本婦人科腫瘍学会 25周年記念事業

第3回 座談会

幹事長の言葉、
理事からの未来への提言

鈴木先生
鈴木先生

鈴木

前幹事長の私と、現幹事長の岩田先生から一言発言させていただきます。私は、35歳の時、2000年に慶應義塾大学に戻りました。当時は植木先生が会長の時代で、2002年から新たに理事長制に変えるため選挙制度の構築等議論されていた頃に、日本婦人科腫瘍学会に関わらせていただくことになりました。野澤志朗先生からは、「お前は腫瘍学会担当!」と言われて、同じ研究室の先輩で当時幹事長であった進伸幸先生に多くのことを教えていただきました。20年以上も前の話です。さて、日本婦人科腫瘍学会の初代幹事長であられた進伸幸先生のご尽力に関して語らないではいられません。当時はMAコンベンションコンサルティングとも契約していなかったため、日々の診療や研究で大変忙しい中、研究室のコンピューターで資料をプリントアウトして役員会の準備を行い、幹事長として進先生がそれこそ学会事務を一手に担っておられました。理事長制移行後の本会の大切な礎を築いた進伸幸先生お一人のご尽力の賜物で、今の日本婦人科腫瘍学会があるのでだと断言させていただきます。私は、進先生の足手纏いにならないよう学会事務の仕事をお手伝いさせていただき、進先生からたくさん学ばせていただきました。進先生と共に手弁当で事務業務を担ってきた時代を多くの方が知らないまま闇に消えないよう、大切な時代のお話をさせていただきました。本会の事務委託業者を決める面談の場に野澤先生のご指示に従い陪席させていただいたき最終的にMAコンベンションコンサルティングに決定されたことも懐かしい思い出の一つです。その面談の場は大変勉強になりました。又、会計の主務幹事も拝命しており、その役割として “野澤”という印鑑を当時1-2個持っておりました。引き落としが必要な時は、その都度事務局の方と銀行や郵便局にてその印鑑で会計の業務を行っていました。その後、別の銀行に全ての口座を移し、事務局が全ての会計業務を行うことになったのですが、不要となった“野澤”という郵便貯金の印鑑は今も私の引き出しに入っています(笑)。

鈴木先生
鈴木先生

もう一つ忘れることができない思い出として、柏村先生が主催された北九州での学術集会の理事会です。当時はクールビズの概念も無い時代であり、理事会の受付が会議室の外の小さなスペースであったため真夏の暑い中汗ダラダラになりながら受付業務を行い、資料やお弁当を机の上に事前に用意し、理事会終了後に涼しい会議室で余ったお弁当を進先生と二人で食べたの記憶があります。理事長制になってからは野澤先生が初代で、その後は植木先生、安田先生、稲葉先生と、そこまでは幹事長が進先生でした。なお理事長制に移行してから、進幹事長をサポートする役割として副幹事長という名前を付けていただき、正式に副幹事長になりました。宇田川先生が理事長になった時に二代目幹事長を拝命して、先輩の長谷川清志先生に副幹事長をご担当いただきました。

最後に・・、当時の専門医制度の講習会では、会場入り口で参加を証明する紙を渡し、終了後にその紙を集める方式でした。当時専門医制度が始まったばかりであり、専門医制度委員会の使命として、いい加減なことができず、「厳格にやらなければ!」、と幹事皆で協力してその仕事を実行していました。懐かしい思い出です。
次に、現在も頑張って学会を支えている第三代目幹事長の岩田卓先生にお話をいただきたいと思います。

岩田

私は2008年の稲葉理事長のときに、「青木先生が広報委員をやるから主幹事ね」と言われて、全くわからないまま入らせていただいたのが最初になります。2008年から総務委員会の幹事も併任していて、そのあと、2012年の嘉村先生の時に幹事長となりました。どちらかと言うと総務の幹事がそのまま上がったかなというような感じです。

今回この中で話しておかなければと思ったのは、2012年の最初の理事会で公益社団法人になるためのワーキンググループというのが立ち上がった時のことです。そのときに2013年に公益社団法人にしようという目標があって、それがいきなり私の仕事だったんです。婦人科腫瘍学会というのは当時NPOだったんですね。ところが、NPOは公益社団法人になれない。とはいえ、初めから立ち上げると今までの財産を国に持って行かれてしまうということで、どういうことをしたかと言うと、最初にまったく別団体の一般社団法人というのを立ち上げました。一般社団法人から公益社団法人になることはできるからです。それで一般社団法人を立ち上げたあとは、NPOを吸収合併させて、その上で公益社団法人にするというプロセスを踏みました。

岩田先生
岩田先生

今回記録を残す上で調べましたところ、2012年11月5日に一般社団法人の日本婦人科腫瘍学会というのを、嘉村理事長と当時の総務の人たちの10人で設立しています。公益社団法人になるための条件はいくつかあったのですが、一つは1回決算をやって、1年間の総会をしなければいけないというのがあったので、2013年の秋に設立するためには1年前に一般社団法人を立ち上げないといけなかったわけです。10人で立ち上げまして、私が司法書士さんと一緒になって定款や規則を公益社団法人に合わせる形で一から作りました。その頃はすごく気楽で、何せ1からつくるものですから、変えたいところがあればNPOの方の理事会は通さずに、一般社団法人の10人が「いいですよ」と言っただけで全部通ったんです。今から思えばもっと変えておけばよかったと思うところがいっぱいあります (笑)。2013年10月25日に内閣府から公益社団法人の認可を受けまして、たった10人の日本婦人科腫瘍学会という公益社団法人が誕生しました。
その年の11月8日に行われた岡山の学会で、公益社団法人日本腫瘍学会の総会が開かれて、今までのNPOの方々を合併させる、その時点で全ての理事が辞任して新しい体制にするという流れに決まりました。それを決めた後に合併して、1時間後くらいに新生の公益社団法人日本婦人科腫瘍学会が誕生し、今に至る体制になりました。ですから私は1時間だけ、第1回公益社団法人の監事をやったことがあって。宇田川先生が「なんで岩田くんが監事をやってるんだい?」って言われて(笑) 1時間だけですから、と必死に説明しても、なかなか納得していただけなかったのを懐かしく思います。
今でも登記などを見たら、設立の10人の名前が残っているかと思います。そのとき理事になっていただいたのが、磯西先生と深澤先生だったんです。というのも、公益社団法人は他の団体の理事が半数以上重複してはいけないという規則がありましたから、当時の理事を公益法人の理事にしてしまうと合併できなくなってしまう。それで、申し訳ないですけれどもNPOの評議員だった2人の先生方になっていただきました。その先生方には合併後には強制的に理事を辞任させてという失礼なこともしてきました。お二人には今も感謝しています。

あと私が任期の間にネゴシエーションしたのは、学術集会を2回から1回にすることです。それに伴って秋の学会を研修会にしたのですが、そのときに教育プログラムをABCにわけたんです。当時の担当は吉川先生で、佐藤豊実先生がつくってくださって、改訂は川名先生がやられたんだと思います。他には学術集会長の選考を選考委員会で行うように制度を変えたこと、また当時の副理事長は理事長が指名し、副理事長がそのまま理事長になるという流れでしたので、透明化した方がいいだろう、ということになりました。それを受けて暫定的に副理事長選考委員会というのをつくって、さらにそのあと片渕先生の時代に理事長選考委員会に名称を変更し、三上先生が初めての“理事長選考委員会で選ばれた理事長“ということになりました。
最後は日本医学会の申請です。青木先生に言われて「何のことかな」という状態で始めましたが、加盟して気づきました。全く知らない世界でしたが、情報の質がまるで違いますし、世の中のことが良く見えてくる。他の学会経由で情報が来るより直接来たものを自分たちで目を通すことが、非常に勉強になっています。
このように得たものは非常に多いのですが、長い任期となった中、幹事の頃からずっと一緒に来た先生はもちろん、今の常務理事の先生方にも良くしていただいて、本当に全国の先生方と親しくしていただいていることが一つ大きな財産になっています。

岩田先生
岩田先生

鈴木

それでは、皆様から最後に一言ずつまとめのお話をいただきたいと思います。青木先生からお願いします。

青木

腫瘍学というのを体系的に理解した上で、いろんな分野に羽ばたいてほしいです。大きなところで言えばその点なのですが、細かいところで気になっているのは、この学会で診療ガイドラインをつくって欲しい。そうでないとダイバーシティが広がらないですよ。それは早々に変えてほしい。治療ガイドラインは浸潤癌しか取り扱わないという意見もあったが、やっぱり前がん病変や関連疾患も扱ってほしいと思っていますね。そういうのが直近の課題かなと。あと大きなところでは理事長のリーダーシップとかガバナビリティが大事だと思っています。そこは理事長のオリエンテーションだと思うので。そういったことを少し感じるというのは最後に言いたかったことです。

片渕

これまで触れませんでした社会保険や倫理はいずれも学会の重要な位置にあり、これらを包括した戦略が必要です。そして、予期しない出来事へ即応できる体制づくりです。もう一つは情報技術の導入を促進していかなければなりません。そのためには若い力を結集することに尽きます。そして、やはり教育、学びの場を提供することです。一番申し上げたいことは、公益性という観点から国民に情報発信してほしいということです。例えば、12項目の一般向けの教育アニメーションをつくりましたが、必ずしも私たちが期待した項目に国民の注目は集まっていません。3大婦人科がんである子宮頸がん、子宮体がん、卵巣がんを視聴した人たちは決して多くはありません。子宮内膜掻把術とか手術の合併症の視聴がむしろ多く、もっと観て欲しい検診とかワクチンなどは少ない状況でした。私たちの学会が国民の視点に立っていないのではないか、公に向けて必ずしも学会活動をやっていないのではないかと心配しています。産婦人科の一般診療で多い患者さんは、子宮筋腫、子宮腺筋症、子宮内膜症の三大良性疾患です。これらの病気は私たちの学会の主眼ではありませんが、この学会が良性疾患も含めて国民に発信してもいいのではないかと思います。それらの疾患の延長線上に婦人科がんもあるわけですから、初めからがんをテーマにすると一般国民はなかなか入りづらいのではないでしょうか。20代から40代に多い三大良性疾患から女性の病気をだんだんと認識してもらい三大婦人科がんに繋がっていく。結果として国民がもっと婦人科がんにも目を向けてくれるのではないかと思います。難しい取り組みではありますが、国民がこの学会に目を向けてくれないと、公益性を十分に発揮することもできません。最後に、現在の、そしてこれからなられる理事長が任期の期間を越えて繋がって、5年後10年後の学会の将来展望を掲げてほしいと思います。

三上

私からは婦人科腫瘍学会自体のことを話したいと思います。会員のためになる学会になって、なおかつ婦人科腫瘍を患っている患者さんのためになるというのが一番のポイントですよね。ですから会員にとって腫瘍学会がなぜ存在しているか。ダイバーシティがあり色々な方々がいて色々な考え方を持っていて、そういう産婦人科医いる中で婦人科腫瘍を専門にしたい先生方が婦人科学会に入ってくるわけですよね。その人たちに学会が何をしているかということをきちんと発信して、その人たちが専門医になったら、どういう生き方がしていけるか。それを見せていくということで、会員数を増やしそれが女性全体のヘルスケアの向上に繋がっていく。議論に出てきた腫瘍専門医の意義というのは昔と今とで変わってくるわけですよね。それをきちんと見極めて、会員数を増やして。学会を国際的なものにしていく、若い人たちにそういう視野を持たせていく。そういうところにこの残り1年やっていきたいかなと思います。そのために色々な意見を聞くことが大事だと思います。若者の意見を取り入れるしくみを作って。それを聞きながら10年後20年後を見て、今の段階でどうすればいいかというのを決めていくのが大切かなと思います。

鈴木

長時間に渡り、第3回の座談会にご参加くださりありがとうございました。これで座談会を終えたいと思います。ありがとうございました。

集合写真
集合写真